序章 “ASKA3Dプレートとは何か”- 開発者 大坪誠に聞く

まずは自己紹介をお願いします

大坪 誠 1955年10月23日生まれ、67歳(注:2023年インタビュー時点) 、長崎県五島市出身です。

大学で電気工学を学び、卒業後は大手鉄鋼メーカー関連企業で鉄鋼エンジニアリング技術に従事しました。
その後高温環境下でのセンサー開発や、出向先製鉄所生産技術研究所での技術研究開発補助業務などを通じて、三次元の立体映像に関心を持つようになりました。

大学時代の仲間たちと

大学時代の仲間たちと

大坪さんの開発されたASKA3Dとはどのようなものでしょうか

被写体を下に置くとパネルの上に被写体と等距離で“被写体が浮いて見える”という、特殊な機能を持った透明な“薄いパネル状の光学デバイス”です。サイズは様々ですが、1枚板の形状をしています。

この世界にあるものはみな光が拡散しています。私達はそれを両目で捉え、網膜に映った像を脳内で立体視して認識しています。1点から永遠に広がり続ける拡散光の世界とも言えますね。
拡散する様々な光線を屈折・反射で伝達する素子を光学デバイスといいます。

代表的な光学デバイスには凸レンズ・凹レンズ・フレネルレンズなどのレンズがあります。
このASKA3Dも非常に特殊な光学デバイスで、透明な媒体の中にミクロの反射ミラーが上下直行するように帯状に沢山配置されたパネルであるという複雑さが、通常の光学デバイスと異なります。

ASKA3Dも光の屈折と反射を利用して現象を起こしているのでしょうか

いいえ、それは違います。

ASKA3Dは1点から広がった光を反射により収束させることに特化したデバイスです。
最初から屈折を使わない、反射のみで構成することを考えて発明しました。空中に映像を浮かべるという目的を考えた時、光の屈折率の違いから生まれる色(光の波長)収差が後々課題となることが想像出来ていたため、反射のみを利用しました。

ニュートンも屈折の仕組みがわかっていたので、屈折を使わない反射式の望遠鏡を発明したのだと思います。

独自の技術 CEATEC AWARD2013 キーテクノロジー部門 準グランプリ受賞

独自の技術 CEATEC AWARD2013 キーテクノロジー部門 準グランプリ受賞

“三次元映像の面白さを感じた、製鉄所でのセンシング技術開発時代”
- 鉄鋼メーカー勤務時代の着想と特許の取得

立体映像に興味を持ったきっかけを教えてください

最初は1994年頃でした。鉄鋼エンジニアリング業務に従事する中で立体映像に関心を持ちました。
センサー開発やセンシング技術の開発を行っていたのですが、製鉄所で使用するセンサーは、1,000度を超える非常に高温な環境下で機能する必要があり、電気工学の知識が無いと作れません。
高温に熱され高速で移動する鉄板をセンシングするために、立体情報の撮像技術が当時取り組んでいた課題でした。
100分の1秒単位で板の波形状がどうなっているか、物理情報・寸法情報として計測し、リアルタイムで制御系機器にフィードバックする必要があります。

当時の同僚たちと

当時の同僚たちと

その頃はセンサーでスキャンしたデータを三次元表示するソフトを利用していたのですが、板の形状を平行投影したものをプロッターで書いてプリントアウトしたものを見て、三次元の面白さを感じたのです。

立体映像の分野において、当時は両眼視差というメガネを掛けたり赤色アナグリフといったような両目に別の情報を取り込むことで脳内に立体像を見せる方式が一般的でした。

これは自然の拡散光の世界とは違うものを見ているので、脳が混乱した状態で目も疲れます。
そのことから、自然視と同様な表示原理が究極の立体映像技術であろうと直感していました。
最初から自然光と同じような拡散光を再生している、という状態であれば、二眼の計算をする必要はありません。

当時唯一近い技術としてあったのがホログラムです。レーザー光を物体に当てて得られた物体光と元のレーザー光を重ね合わせて記録した干渉縞を利用する特殊な方法で、開発したガボールはノーベル賞を受賞しました。

しかし、ホログラムTVとしては未だに実用化に至っていません。ものすごい高解像度の記録媒体やレーザー光が必要なため、テレビにするには莫大な情報量が必要となり、工業化が困難でした。当時は世界中で研究されていました。

私もどうやったらホログラムのような立体映像を簡単に作り出せるか、常に考えていました。
そんな中、出張の際に乗車した新幹線から窓を眺めていて、最初のアイディアが生まれたのです。

“新幹線の車窓がもたらした突然のアイディア 思考実験の末に実現した新たな光学デバイス”
- アイディアが形となり、空中に“結像”する

立体映像の実現に向けアイディアが最初に生まれた瞬間と、最初のアイディアについて教えてください

当たり前の話ですが、新幹線の窓から見た外の景色は立体です。遠くの景色は二次元的にも見えますが、近ければ近いほど立体であることがよく分かります。
光線は窓ガラスの厚み10mmを貫通して、立体的な景色として私の目に入ってきています。
この貫通してくる情報を、神様の力を借りて時間停止し、窓ごとホテルに持ち帰り再生した場合、その時の車窓が立体映像として目に見えるはず、という気づきを発端に思考実験を繰り返しました。

その思考実験を叶えたのが、古くからあるインテグラルフォトグラフィ(IP)原理であり、現在のASKA3Dへの架け橋となりました。10mmのガラス板を拡大し、通る光線を線として引くと、ガラスの表面から裏面へ無数の線が引けます。この線は物理的には光線ですが、幾何光学的には線として表します。この線を整理する方法を考えました。

IPについて少し説明します。古い技術にピンホールカメラというものがあります。自然光は1点のピンホールを通してコーン円錐状に拡散し、スクリーンに投影されます。私達の目で見ている景色(光)は、このピンホールを通した光(ピンホール画像)の無数の集合体である、と考え10mmの板ガラスのオモテと裏に無数にあるピンホールと、それにより結像するピンホール像を思い浮かべました。
この像はピンホールが無数にあるので、立体に見えるはずです。
「ガラスの中を通過する光線は規則正しく、記録できて、再生できる」ことが直感的に分かりました。
ここでいう再生は正確には逆再生で、ピンホールの方にピンホール像から光を出す、というイメージです。
これが能動系と言われる、視野角を自由にコントロールできる究極の立体像のアイディアとなりました。
ただ当時の科学技術ではこれを再現する方法はありませんでした。

最初の特許を取得してからの開発過程について教えてください。
また1997年に出願された別の特許が現在のASKA3Dの原型とお聞きしました

1994年頃から数年間、IP方式を用いた能動系を大手企業と共同研究しておりました。
立体映像を作図していたところ、もう1案、「ひょっとしたら電気的ではなく1枚のパネルで立体像が作れるのでは?」と思いついて更に特許を取得したのが1997年です。※公開番号:特開平09-005503
ピンホールを使わずに実現できる画期的な方法=今のASKA3Dの原型を将来のために特許申請したのです。
当時から負の屈折率を活用した立体映像の実現方法は世界中の学会や研究者が検討していましたが、誰一人正解にはたどり着いていませんでした。

その後自分で会社を立ち上げ能動系の研究開発を進め、プロトタイプを完成させました。
10mmほどの厚みの中ではありますが、立体のイルカがシャッター面を飛び越えて眼前に飛び出したのを覚えています。
ただ当時の技術でこの能動系を形にするには、天文学的な費用がかかることも分かっていました。
2006年頃の話です。

結像素子イメージ図及び空中結像イメージ図

結像素子イメージ図 及び 空中結像イメージ図

2007年にもASKA3Dの原型について再発見があったとのことですが、詳しく教えてください

1997年頃試作していたものの、その後能動系に研究を移したので止まっていたアイディアがありました。

2007年の夏頃だったと思います。トイレや、風呂場の天井コーナーを眺めて光の反射経路をあれこれ考えていました。
すると、コーナーが無くてもいいんじゃないか?との発想が浮かび1個の2面コーナーを上下に分割する発想に行きつきました。
それから直ぐに1997年に試作していたガラスロッド(断面3mm×20本)を上下2層に並べたパネルのイメージが浮かびました。

ガラスロッド 単体

ガラスロッド(1)単体

ガラスロッド 複数上下クロス

ガラスロッド(2)複数上下クロス

この時は雷に打たれたような衝撃と胸がドキドキしたことを思い出します。
すぐに会社に向かい、部屋を暗くしてDesktopパソコンの「電源ボタンの「LED(青)」に45度でかざしてみたところ、果たして空中に浮いて見えました。あの時の震えるような感動は今でも忘れません(笑)

さあビジネスへ、というところでモノづくりの課題=製品として成り立つ精度が出ないという課題に直面しました。
当時は結像が歪んでいましたが、ちゃんと立体映像として結像している状況でした。

この課題を解決するためにお声がけいただいたアスカネットに参画したのです。

“手作業からはじめた初号機の開発 様々な協力者、アスカネットとの出会い”
- ASKA3Dの新たな活用法がもたらす未来

ASKA3Dの初号機を開発する上で直面した課題とそれをどのように克服したのか教えてください

初号機のガラスロッドは断面が3mm角だったと記憶してます。当時は透明なガラス板の上に1層目を並べ、次に2層目を直交させて並べ、最後にガラスの板でサンドイッチにしてました。

これを全て手作業でやらざるを得ず、ちょっとした傾きや振動で折角並べたガラスロッドがバラバラにズレる為、形状保持に苦労しました。実験的には問題ないのですが、とても商用に使えるレベルではありませんでした。

当時の課題は、以下の2つでしたね。

  • ガラスロッドの精度/サイズ、4面の平坦度・鏡面精度、蒸着
  • パネル化/接着剤、インゴット製作、スライス等

これらの課題を、特殊ガラス加工会社の協力を得てクリアできたことが今に繋がっています。
今ではガラスロッドの断面は0.5mm角まで精度向上しています。

またアスペクト比を上げることにも成功したため、当時と比べはるかに少ない光を立体映像として結像することも実現しています。

初期開発段階で想像していたASKA3Dと現在のASKA3Dはどのように違いますか?

1つ目は品質の向上/輝度、鮮鋭度、大型化、耐環境性の向上
2つ目はガラス製パネルの量産化実現
3つ目は当時存在しなかった樹脂製パネルの量産化実現です

いつか実現出来るとは考えていましたが、アスカネットに来なければ実現出来ませんでした

同僚たちと

同僚たちと

今回はアイディアの着想から、アスカネットに参画するまでのお話を伺いました。
この期間で学んだ最も大切なことは何でしょうか?

背景として、自身の起業したベンチャーでの失敗や能動系への挑戦など、様々な困難がありました。

  • 夢を諦めずに立ち向かったこと
  • 様々な協力者との出会い

この2点がASKA3Dの実現という形に「結像」したと感じています。

最後に、今回のインタビューを通じてASKA3Dに興味を持つ皆さまにメッセージをお願いします。

開発者として、ASKA3Dによる空中結像の利便性を必要とする様々な分野への応用を期待しております。
この分野では既に多くの企業様、大学や研究機関などに導入いただき、お陰様で製品化される案件も増えてきました。

一方空中結像はASKA3Dの持つ一つの機能にすぎず、本来は特殊な光学デバイスです。
凸レンズの無かった世界に凸レンズを発明したようなもので、他の様々な光学デバイスと組合わせて新しい光学系が構築できるポテンシャルを持った、メタマテリアルとも言えます。

現在フィーチャーされている空中ディスプレイや非接触デバイスのような可視光での利用だけでなく、赤外光、マイクロ波光学系、紫外線などにも応用が可能です。

ASKA3Dなら計測など様々な分野で、今までの不可能を沢山可能にすることができるはず。
応用されていない未知の領域がまだまだあると考えています。

沢山の方にASKA3Dを知ってもらい、ぜひ新しい光学系の開発に応用していただきたいと思っています。

ありがとうございました。 今回はASKA3Dの黎明期とも言える、アイディアの発想からアスカネットでの実現までについてインタビューさせていただきました。

次回は【課題&克服 ASKA3D商品化への道のり】について伺います。

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